さちゅりこん2――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

教養人・博愛人・世界人・宇宙人・君国人

 しかし神性及び獣性への人間性の徒なる擴張は、單に人間性の混亂を惹起するのみである。それは再び人間性に收斂されなければならぬ。甘味は鹹味を伴はねばならぬ。しかしそれは恐らく單に人間の主體性の内に求められることとは出來ぬであらう。階級は民族も直ちにその中心たることは困難である。そこには單なる机上の計畫及び難き新なる人間型の鑄造の問題がある。それは我々すべてに課せられた、しかして歴史的現實に於てのみ解決される歴史的課題である。今日ヒューマニズムが問題とせられるには、かかる課題的な意味が多いであらう。しかし我々はそれについて何事をも述べ得ないか。私の希望は、新なるヒューマニズムが個人、民族、及び階級を媒介とせる世界史的性格を有することを願つてゐる。人道主義的ヒューマニティの欠陥は、現実の世界より遊離せる抽象的なる人間性であつたことである。しかして人文主義的ヒューマニティは未だ現実の世界を知らなかったところに欠陥を有した。我々は現實の世界と歴史に帰らねばらならぬ。新たなるヒューマニティは歴史的世界に立脚する世界歴史的性格を有さねばならぬであらう。今日のすべては世界に淵源し、そこに解決の困難さと又同時に解決の方向が潜む、何故歴史的世界への人間性の廓大が、人間性の救濟となるかについては、述べるべき他の機會に讓る。少くとも、個人、民族、階級が歴史的世界に於てのみ意義を有し、歴史的世界を離れては、いかなる個人、民族、階級も成立しないことは注意さるべきである。ヒューマニズムの第三形態はそこに見出されるであらう。ヒューマニズムの流れ寄る泉は歴史に於ける世界である。しかして歴史的世界に新なる類型の人間の生誕によつて進展する。ヒューマニズムの第三形態は、教養人でも博愛人でもなく、正に世界人を要求してゐるのである。

――高坂正顕「ヒューマニズムの意義、限界、拡張」

 

いまでもこういう抽象論は生き残っており、百害あって一利なしである。しかしさすが高坂は、ヒューマニズムを頑固な教養主義=人文主義であることを前提に立論しているのだから、ここでの歴史や現実というのもそのような教養であり、べつにヒトラーの演説や人種差別主義のことではなかったのかもしれない。しかし、高坂はよのなか、信じがたくおかしなことが起こったときに、まだそれをヒューマニズムで乗り越えようみたいな下心があって、困ったあげくに「世界人」だと言うている。同様に、最近も、もと人文主義者みたいなのがやたら外国で研究しようみたいな経験主義に陥り、出羽守よりも非教養主義的になっているのが笑わせる。

例えば、高坂のような論法は、のちに佐藤通次が『学問の厳粛性』で、「宇宙人と君国人」みたいなものを書いて居丈高になっているのを防ぐことはできなかった。一見、佐藤の方が、高坂の先生でもある西田幾多郎に忠実なようにみえるところも面白い。佐藤は、個人ではだめで「我汝」が一体化した君民一体(君国人)がよく、それは個人主義が「宇宙人」みたいになっているゲーテよりもすごいんだと言っている。それはなんだかよくわからんが、フィヒテの「事行」的でもあるというのだ。これは佐藤が『皇国哲学』で展開したものの繰り返しであるが、ともかく、一見馬鹿がだまされるという点では、高坂のよりも「説得力」があるのだ。西田もそうであるが、要約するとろくでもなくなる哲学というのは何らかの問題を抱えているようなきがしないでもないけれども――それはさすがに多くの著者たちがかわいそうだ。多くの教室で展開されている説得力、要約、などがとにかくめちゃくちゃなのである。高坂は、なぜこういう現実を無視して、現実に、歴史に帰れなどと言っているのか。

そういえば、南原繁『国家と宗教』の岩波文庫の解説をこの前読んだのだが、果たしてこれでいいのかとお思わざるを得ない。わたくしもあまり南原の本文をちゃんと読んでない、――しかも高坂や佐藤よりも棒読みみたいな内容があまりすきではない――のだが、さすがに南原の文章は、もっとひりついているである。例えば、なんだろね――、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の丸山真男の解説(岩波文庫)は、もっとそれ自体ひりついていた。丸山に人気があったのはその論理そのものではなく、そのひりつきなのである。小学校6年生でこれを読まされたわたくしだってそのくらいわかった。そして、吉野の著作は、そのひりつき自体がテーマなのである。吉野の言いたいのは、人は教養では感情を獲得できない。感情によっても教養を得ることはできない。しかし、人間の折れ曲がり――転向や変節による反省によってのみ感情と教養を得るのだということである。つまりそれがヒューマニズムである。

80年も転向意識から遠ざかった我々が、高坂や吉野が示唆するヒューマニズムから遠ざかっていることが日々思い知らされる。それはこういう高邁な思想の問題というより、単純な感覚によく表れる。幼児時代からたいした食欲がなかった私がいうのもなんであるが、――最近、グルメリポートはもとより、あまり旨そうにくう人間が映画でも何でも見られないような気がする。韓国映画「火山高」「風林高」を連続してみたら、――特に後者は、欺されたと思ってみたらほんとに欺されたと思った人が多い映画であろうが――それはともかく、役者達がラーメンを実に旨そうに食べている。我々はこんなことも失ったのだ。

傑作漫画の一つ、『モブサイコ100』であるが、五巻にたどりつくのにわたくしは5年もかかったが――それはともかく、あんまり人物達がものを食っている気がしない。普通、サイコキネシスでも念動力でもなんでもいいが、韓国映画みたいに沢山食うことが必要ではないか。まだ孫悟空はたくさん食べていたが、これが「宇宙人」の設定であったことが一抹の不安を感じさせる。我々は、佐藤通次ほど本気ではないが、宇宙人よりも君国人みたいな意識の存在に成り下がっているのではあるまいか。

国会図書館の佐藤通次の本には「此の本が二円八十銭とは「ちと」高い」と落書きがあった。いつの落書きか知らないが、まだ我々よりは正気だった人が多かったのかもしれないと思う。

昭和13年2月14日

 美は動的なものであって、生きているのだと私は思っている。いつか徳川夢声君と半日がゝりで漫談の議論を闘はしたことがある。自由が丘の私の自宅から、赤坂のある料理店に行ってもまだおしまひにならなかった。そして今日に至るまで、まだ預かりになってるほどの議論な訳である。

 それは、ひよとしたことから徳川君が、自分はすばらしい宗教を発見したといふのである。私はその説明を聞かずに、

「君の宗教は何んな宗教か知らないが、その偉大さに置いては、僕の考へてゐる宗教にはかなへさうもないね」と漫駁した。
「何んな宗教だね」
「先づ君の方から説明して見給へ」
この押しつけ問答が約一時間もかゝったが結局徳川君の宗教といふものは人間の結婚を中心に置いたものであって、私の宗教というのは宇宙・自然を支配してゐる大リズムであるといふことが分った。そして、私の宗教といふのは動的であつて、決して固定沈滞する性質のものではなく、時代と共に流れ、常に新しい生命を呼び覚ます所の、美の化身であるとも結んだ。

 それから動きに對する問答がやや続けられたが、私は急に車の外を指して
「あのビルディングは何うだね」

とやった
「動いてゐないね」と徳川君は云ふ
「君、ビルディングが動いてゐないものだと考へてることが、もともと君の誤りなんだよ」といったら、流石の徳川君も目を丸くして

「そんな馬鹿なことがあるか」と大きく笑った。
 お互ひに一杯かたむけてゐるので、議論の漫歩はまねかれない。
「此処が君と僕との分岐点だ。はっきり聞いて呉れ給へ」と冒頭して、ビルディングの姿は動きに耐へてると考へるのが自然であって、動かないなどと考へるのは甚だ皮相な考へである。山の姿なども、動かないのではなく、動きに耐へてるのだ、動きに耐へて要るからこそ、その力が見る人の心にまで反映して、偉大なる山になればなるほど、焦慮した人間の心までも静かに押し止めてくれるのである。世の中のすべてのことは、動不動であって、戦、静といふ言葉は当てはまらない。静の中から美を求め出すことは極めて困難なことであり、寧ろ不可能なことですらあると私思っている。静止美などゝといふことは事実あり得べきものではなく、あるとすればそれは美の化石だと私は思ふ。
 動きに興味を感じない人は、海の波は数十年来、同じ動きを繰返してるものと思ってるらしい。同情のない人と云はなければならない。
 美は與へらるべきものではなく求むべきものだと私は思ふ。

――石井漠「「動」の美しさ 静止美は美の化石」(『帝国大学新聞』)

 

石井漠は、石井歓と石井眞木の親父であり、舞踏家である。静にみえても動だけがある、それは我々が美を求めるからだ――こういう考え方は、当時それほど珍しくはない。が、西田幾多郎や小林秀雄ならともかく、石井漠が言うと、そりゃあんたはいつも動いてるから、と言いたくなるのであるが、――この論争相手が徳川無声だったというのも面白いと思う。徳川もこれまた落ち着きがなさそうな人ではあるからだ。はたして、どちらが自らの哲学を体現していたのであろうか?

この記事の上のほうには、藤島亥治郎のチャップリンの「モダン・タイムス」評が載っていた。藤島は帝大教授の建築史家である。戦時下ではずいぶん勇ましいことも書いていた。このチャップリンの記事でも「チャーリーも些か老いた」とか毒舌である。左右問わず最近のひともずいぶん荒っぽいことを新聞に書いていた人が結局炎上している。むかしは、国策の言説も言説として暴力的である必要があったから、転向意識もさんざんなものになったのであるが、最近は、もともと荒っぽい人がそこそこ権力的になるのか、もっと存在感を出そうと思ってか、闘おうとおもってかあらっぽくなるひとが多いようだ。

石井氏の左側には、高見順がシャーウッドの「化石の森」の菊池小劇場の公演について書いていた。これもよくわからんがある意味勇ましいもので、明治生まれの30代の観念的虚無性とを大正生まれ20代の現実的な生き方が乗り越える?みたいなことを言っている。しかし、結局、この現実的な大正生まれの20代が明治生まれの指示で大量に戦死したのはよく知られている。

下部には沢山広告が載っている。

「冬服は特に勉強致します 西洋洋服店」

「どうぞ 棚沢書店へ」

「神経衰弱不眠症に ドルミン」

「貴下の頭痛は便秘のためではありませんか? 下剤はラキサトール」

「研究や読書のあと 食後のひととき 明朗と元気を創る かをりたかい ブラジル珈琲を召し上れ! ブラジル珈琲」

「検眼」

「肝臓造血剤 顔色優れぬ貧血患者 理研レバー」

「パイロット高級インキ ¥20」

「独逸語の会話と手紙 橋本忠夫著」

 

さすが当時の帝大は、主として勉強と神経衰弱と便秘と貧血を、薬と珈琲でどうにかしようとしていたらしい。学徒動員まであと何年であったであろうか。――というより、この日は鄭州爆撃の日であった。

亡霊が死なない事態について

『改造』『中央公論』などをよみ、自分一つの興味を感じた。これは一つ、『国民新聞』から蘇峰のとび出した事件。
 一つは横光、林、前田河などの支那に対する興味の示しかただ。
 支那が日本に働きかけて居る力、これは対支外交史上に於ける田中内閣の失敗に於て著しいばかりでなく、この三人の示す興味に於てはっきり認められる。自分には非常に面白い。モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)に坐って居て、描かれる或ラインを地球の上に感じる。六十七歳のソホー老人もこの輪の片はじに引っかかって、常識ゆたかなる市民の前に投げ出された社会的の時代的楔の一つだ。自分は日本の社会にきり込まれる縦と横との線をこの二つの現象の上に感じるのだ。
 ○宇野千代氏と尾崎士郎の共同生活がやぶれた。「稲妻」の中に尾崎士郎のザピースカ[#覚え書き、ノート]があり、自分それをよんで、尾崎は惚れる価値のある男だと思った。
 二人の生活の幸福と不幸が凡そどんなものであるか理解された。
「互は互の愛する面のあらゆる面を愛し合って、どんな優しい愛の言葉も繰返しの子守唄となった」
 ◎Aと自分とは五年暮した。Yと五年暮して居る。
 ○恋愛なしに人は生きられぬ。然し恋愛は人生の必須な、だが部分だと云うことを深く深く実践に於て理解しないと、その恋愛までこわれる。

――宮本百合子「三月十五日」(日記 昭和四年)

 

宮本百合子と宇野千代は、昭和五年の新進傑作小説集(平凡社)みたいな本で二人して選ばれている。「稲妻」もそこに入っている作品で、上の引用は少し単純になっている。宮本百合子はそういうおおらかな少女趣味らしいところがあるように思うが、まだ恋愛が壊れたりすることに避けたい悲劇を見ているところがあるとおもう。宇野の場合はそうでもない。「稲妻」に限らず、破滅は常に解放であり、予感の時点で解放が始まっている。そして、次の現れる男が実際に認知されるのは、記憶だけになってからである。それを避けるために、その記憶を書いて捨て去る。彼女は、階段の下がない、みたいな書き方をしていた。

そういえば、宇野千代と言えば「三吉とお母さん」という童話がある(『赤い鳥』昭10・11)。お母さんが亡くなって孤児と思われるのが嫌だからおばあさんが亡くなったと嘘をついていたが、同じく母親がいない四郎君と一緒に泣いてなんか「すうつと、いい気持ちになった」という話である。

わたくしは、こういうのを人の性質の話にしたくない。文化の話だと思うものだ。たとえな、――昭和初期の新聞をよんでいると、マ(モ)ギレフスキーとかロイヒテンベルク夫人とか井上織子とかの演奏会の記事がでてくる。となりには、エルンスト・トラーの演劇の記事(「どっこい生きてる!」の公演)なんかが載っていて、それらの仰々しい書きぶりがおもしろいが、音楽に限らず西洋文学の受容がこの仰々しさと無関係ではないということを考慮に入れておく必要があり、人の心に与えた影響は大きいと思うのである。

一方で、宇野千代のような「前へ前へ」みたいなものがあるのは、それが通用しない世界が走っていたからでもある。例えば、戦争のトラウマのドメスティックバイオレンスへの変容について屡々指摘されるが、――近代文学において、自身のみならず親や祖父の養子体験が大きいというのは屡々指摘されることである。また、地主や金持ちだった祖父や父親の行状が相対的に模倣されてしまうのは、志賀直哉や太宰を見れば一目瞭然である。かような現実は、現代でもそこら中にみられる。マルクスは、意図的に亡霊を呼び出す世界を描いたが、マルクスの周囲では、亡霊は一度殺されているからこそ呼び出さなければならない。しかし、我々の世界は、そこまで一亡霊が殺されていない。平岡敏夫が言っている近代文学における佐幕派の怨念も、怨念というよりトラウマの連鎖だったのかもしれないが、より正確に言えば、亡霊が死なないということである。

 

私にはまことと嘘との境目が分りません。(ああ、もしこれがほんたうに私の文飾であるならば、)私はあんまり嘘を言ひ過ぎて暮して来ました。私の嘘はそれほどに絶對絶命であるやうに思はれました。この嘘だけしか私を守ってくれるものはなかったのだと思ってゐましたのに、いまはそれが氣味の悪い霊を道連れにして遣って来ます。

 どこか遠いところへいらつしてもお所だけは知らして下さいまし。この私の一番おしまひのセンチメンタリズムをお笑ひになりませぬやう。――
 雨は止んだやうであったが、遠い雷の音と稲妻と風とは止まなかった。三千代はわれとわが手紙の文句に昂奮してこの激しい風の中へ、ポストを探すために出て行った。凄まじい感情が、この急がない手紙を出しに行かせたのであった。風が吹けば吹くほど道が暗ければ暗いほど、三千代はどこまでも歩いて行きたかった。この土地へ新しく案内をうけたときに、ただそのためだけに越して来たのであると言っても好い、素晴らしいアスファルトの二十間道路がいまは一面にコールタールを流したやうな眞黒さで、生きてゐる者の影も通らず、それはまるで廃墟から掘り出された大昔の道路ででもあるやうな、或ひは大震災のあとの街道ででもあるやうに、闇の料亭も工場も空地もべたべたに這ひつくばって闇の中に死んでゐた。まっしぐらにただ一台のふから走って来たトラックの前燈が、そのコールタールを一瞬に滑ったと思ふと、一せいに前へ前へ移って行く影のために銀杏のやうな裸になったプラタナスの並木が音を立てて道の上に倒れるやうに見えた。その瞬間、ぱっと一面に電燈が消えて、空も海も道もみんなコールタールの中に呑まれて了った。
 三千代は一寸立留った。それから、その眞暗闇の中を、後から吹きつけて来る風のために危うく足もとをすくはれ乍ら歩いて行った。
「ポストはどこだっけ、どこにあったんだっけ、」
と、自分ひとりで話すときの癖のやうに唇に呟き乍ら、片手を振つて一散に人道を駆け出した。

――「稲妻」

宇野の場合は、「幽霊」をまだ「気味の悪い」と形容する余裕があった。のみならず、彼女が住んでいる闇が、大震災の記憶と重なるほど、人間の幽霊から離れかけていることも確かである。それは別に「嘘」ではなくて、ただの現実の記憶である。

Rinascimento

 このようにみてくると、ルネサンスにおいては、政治が、倫理のそとにおかれただけであって、倫理はけっして否定されたのではないことが、あきらかになる。マキアヴェッリは、現実の人間の生活、とくに政治が、従来の生活の規範であった倫理の枠から、はみだすようになったことを、直視したにすぎない。したがって、野心と貪欲にみちびかれた現実の人間生活は、ありのままの現実としては、直視されなければならないが、倫理的には正当化されていない。つまり、こういう現実の政治生活が、それじしんの規範をつくりだすまでには、發展していなかったのである。これはちょうど、まえの章であげた、ルネサンスの商人の例に對應する。かれらは自分の営利活動を、倫理的に正当化されぬまま、あえておこない、その罪の代償として、敎會に獻金した。この時期の商業資本にとって、經濟活動が、倫理のそとがわにおける冒険であったのとおなじく、マキアヴェッリは、政治活動を、倫理のそとがわにおいたのである。

――水田洋『近代人の形成』

 

教会はたしかに権力であったが、こういう「罪の代償」機関として働いていた。いまもそうで、むろん、代償にすらなっていない代償であるから、経済人の冒険はますますこの代表行為によって過激化しがちであろう。で、更にそういう非倫理的な自分たちを押さえ込むための非倫理的な暴力さえ召喚される。罪の代償がしっかり為されない循環が発生してしまうのであれば、最終的には外部に頼んで主体自体を消すしかない。そのせいなのか、彼等が作る機械は我々の外部でありながら、我々を常に消そうとする。

われわれはAIの一部をチャッピーみたくゆるキャラにしてしもうとるので、せいぜい絶対矛盾的自己同一による生ざとりかサリンをばらまくぐらいの結末であろうが、――あちらさんはすぐ自分の発明を、上の消去機械=エイリアン扱いにしてしまうのでそりゃAIも殲滅戦の計画を始めるにきまっている。これこそ、ルネサンスをはじめとした、彼等の「人間の生起」の劇場であるように思われる。そこでは安心立命は問題外で、人間が少しでも生起しさせすればよい。

いま、教育実習中で、公開授業をしばしば見に行くが、そもそも我々は授業を人工物として磨くモチベーションがあるように思えない。生徒はゆるキャラではないが、ほぼゆるキャラ扱いであり、教育実習生も自分をそんな風に考えているのではあるまいか。我々が安全安心を求めると、すべてが生起しなくなる。

人間におけるフリーライダー生成

 このフリーライダーは、通常の協力型に比べて体が大きく、特徴的な外見をしています。観察の結果、 フリーライダー型は卵を産むだけで、子育てには全く参加しないことがわかりました。さらに、フリーライダーの子はやはりフリーライダーで、このフリーライダー系統ば遺伝的に決まっていることもわかったのです。そして自然淘汰説の予測する通り、子育て労働のコストを支払わないフリーライダー型は、きちんと労働する協力型と一緒に飼育すると、協力型よりも多くの子を残すことができていました。これは、フリーライダーが進化的に協力型を駆逐する可能性があることを意味します。
 ではもし、フリーライダーばかりが集団を占めるようになったらどうなるでしょう? 土畑らは、フリーライダーだけからなるコロニー(=巣)を実験的に再現し、何が起こるかを調べました。 フリーライダーだけからなるコロニーでは、卵がたくさん産み落とされます。しかし、誰も子育てしようとしないので、卵は腐り始め、またコロニー内の衛生状態も惨憺たるありさまでした。すなわちフリーライダーは、周りに協力個体ばかりがいると成功を収めるのですが、いったんフリーライダーばかりになってしまうと、もはや自分で自分の子を育てることができず絶滅してしまうという、進化の行き止まり状態をもたらしてしまったのです。

――大槻久『協力と罰の生物学』

 

フリーライダーというのも昔からよく知られたものだったけれども、今我々の周囲にいる者がアリと同様のものかはわからない。「物くさ太郎」は、フリーライダーらしい存在ではあったが、京に上がってからは急に働いて嫁まで貰っていたような気がする。物くさ太郎の作者は、彼の子どもが相変わらずのフリーライダーだったのか確かめるべきであった。

AIは果たして人間をフリーライダーにするものであろうか。それとも、新手のフリーライダーであろうか。私の印象では、AIは思考にはやや強いけど事実には弱い。われわれの特徴でもあるから当然のようおもえる。だから、その意味では、AIは我々の実態のないコピーであって、フリーライダーがお荷物であるにもかかわらず、そのグループにおいては協力的な連中よりも一番子孫を残す(この場合知識であるが――)という法則に当てはまっている。ただし子孫も実態がない。こうなると、いてもいなくてもかまわないという意味で、事実に弱い=勉強ができずに思考ばかり増やす中学生といい勝負である。

そういえば、「思想の科学」みたいなのは、京都学派的なものの変態したすがたなのかもしれない。なんとなく「場所」っぽいメディアであった。これは、果たして、フリーライダーを呼び寄せる意味で何か意味があったのであろうか?確かに、上山春平みたいな人間も参加していたところが気になる。上山や梅棹忠夫などは、一見フリーライダーみたいな態度をとっておきながらものすごく働き蟻であり、これに比べるとわたくしなんかアリの巣に紛れ込んだダニみたいなものである。

彼等は、文明学みたいな分野を作った。アリの巣みたいな学問である。こちらの部屋が天皇制、こちらの部屋が西洋文明、みたいな構造をしている。そういえば、ユリウス・エヴォラの『現代世界への叛乱』はまだ2頁しか読んでないが、これもアリの巣的である。シュペングラーが絵巻物であるとすると、エヴォラはアリの巣である。

彼等に比べると、私がダニであることは先ものべたが、――現代のフリーライダーがひどく如才ないのに対し、私みたいなタイプは記憶力がわるいのか、――わたくしは自分の書いたことを恐ろしく誤解する能力があるようだ。ちょっとエライやつだと柄谷行人とかが似たタイプだと思う。こういう人たちの場合、なんで同じようなことを反復しているんだろうと他の人が見ることになる。でもなんとなく不気味なので誰もまねしようとしない。

とはいえ、我々には発達しすぎた脳が、なんでもかんでも模倣しがちだとはいえる。セルバンテスが気づいたのはその点で、「ドン・キホーテ」すら我々は模倣するのである。さんざ言われていることなんだと思うが、「3年B組金八先生」のたちの悪さというのは、「先生を(内面も含めて)模倣できる」ということをながながと公共放送で流し続けたことである。これは先生のものまねをやったり、女学生にもてすぎる「きんぴら先生」シリーズとは全然違う効果を持った。教師の内面を模倣したと信じる働き蟻の誕生である。「きんぴら先生」は、なんとか女学院に赴任したときに、「小野小町の研究家である」とか校長に紹介されていた。モテすぎる教師のエピソードとして笑うところであろうが、同時に教師の権威を示そうという心意気が感じられる。働きアリではない。小野小町研究家である、というわけである。――対して、たしか金八は卒論が高村光太郎であって、さすがいろいろな意味で「戦犯」である。高村光太郎はなんとなくフリーライダーであった。当時の文学潮流に乗り、時局に乗った。金八もそういう存在に乗っているにすぎない。本人がその気がなくても、フリーライダーはかくして生成される。

文学の「方法」で問題が生き延びる

大村 お話をうかがっていると、「心」と呼ばれているような内的な過程が、レフ・ヴィゴツキーが云うところの「内言」と同一視されてしまっているのではないか、と感じてしまいます。でも、「内言」は個体の内的過程のごくごく一部分でしかないはずですよね。「内言」というのは、社会的言語として他者に話す精神機能としての「外言」が、精神内機能に転化した結果であって、個体の内的過程そのものではない。

竹下 そう。ヴィゴツキーの「内言」とは、まず自分と他者の対話のメディアとして「外言」が発達したのち、それを今度は頭の中で思考ツールとして使うものという意味ですが、ヒト以外の霊長類は言語を使わない。だから、そもそも外言が析出しないわけですよね。チンパンジーが自己意識を持つかどうかという実験はいっぱいある。しかしそれらは実験室で飼育されている彼らから、実験で取り出そうと思えば取り出せることを明らかにしようというアプローチなんだけど、野生のチンパンジーが、生まれてからさまざまな社会的相互行為をしている間に自己意識というものを獲得するとして、その獲得された自己意識は、人の自己意識と並列して比較可能な何かなのでしょうか。

 子殺しに遭ったゴリラのメスが、わが子を殺したオスを恨むこともせず付いていくときに、「私の子どもはあいつに殺されたということを意識した上で付いていっている」みたいな理解の仕方に正当性はあるのか。そもそも「殺す」という単語に該当する概念がサルの中にあるのか。

――河合香吏・竹ノ下祐二・大村敬一編『新方法序説』

 

この本は、文化・社会人類学と霊長類学とのある種の「統一」的「方法」は可能なのかという問題を論じている。方法の統一のなかで、用語の問題があって、上のような「擬人化」問題がある。渡辺茂の『動物に「心」は必要か』がでたのは2019年で、当時読んだ覚えがあった。もっと前に学内の研究集会か何かで、国語教科書かなにかに「水にやさしくすると甘くなる」みたいな、プラシーボ効果?が載っているのはいかがなものかみたいな発言があったので、――そういう自明の理よりも、動物の科学的説明に使用される擬人化の方がやっかいな問題じゃないかと発言したことがあった。

――結局、諸学問をくっつけたり統一しようみたいな場合に、「心」って何だろう、我々が使っている「言語」とは何だろうみたいな問題が出てきてしまう傾向がある。ここで本当は文学や宗教の登場であるべきであるが、これは学問になる以前の状態にもどるんじゃないかという恐れで忌避されてしまう。心は個体と社会の間から出てくる何かの結果なのであろうが、これを原因に解消することはできない。できたとしても、我々には心が持っている情念みたいな痕跡の方が重要で「問題」である。これを人間の本質と見なすことは、その原因というよりも、我々の持っている諸幻想の組み合わせ(これはたぶん「物語」や「神話」や「小説」として実現される)を我々の心に挿入して自動生成の様子をみるみたいな行為である。「吾輩は猫である」の「猫」と人間達の組み合わせがそうだし、「蒲団」と「時雄」と「芳子」の組み合わせなんかもそうである。近代文学なんかは、心理学の影響もあって、科学に似た細叙に赴いたのだが、それは筋立てや物語の欲望を排除した「小説」という観察日記のような風貌になる。これは「問題」を解決しないからこそ、「問題」を無視せず持続し続けるという最善の解決策に我々を導く。

そういえば、「思想の科学」という雑誌をやっていた会社がたたむそうである。この雑誌は、どうみても「左派」という風にはくくれない。有名な「転向研究」とかも、すごく重要な仕事である一方でそれをやったらおしまいよみたいなところもあったわけである。つまり、それ自体が、文学や宗教(イデオロギー)であることをやめて思想を科学として行おうとする或る種の「転向」にみえたのであって、マルクス主義者達がきらったのはそのせいである。

文化・社会人類学と霊長類学の合体でさえ困難であるが、たしかにそうやっていろいろ帰納と演繹をくりかえすことでわかってくることもおおい。一方、文学研究者は、それこそ理系の学問が擬人化して見えているので、急に「理系と協同させられた」という自意識になりがちなのかもしれない。「文学の人は文章担当ね」とか平気でいうその分野の*鹿がいるから火に油を注ぎがちである。こういう心的な?光景は絶対になくならない「問題」である。学問同士で多かれ少なかれそういういがみ合いが起こっている。しかし、それぞれの学問が欠陥を抱えているから起こっているのではなく、かかる「問題」は文学や宗教でしか扱えないということに過ぎない。

 

 また逆の面でもうひとつの例をあげてみると、先ほどいいましたように人間を高等動物と比較したらどうか、というようなことがあるわけです。この研究は京都大学でよくやっているのですけれども、この研究が馬鹿げているというのは初めからわかっているわけです。何が馬鹿げているかというと、人間社会あるいは人間集団に当てはまる概念を猿集団に適用していますが、人間的概念を使っている限り本来的にはちっとも猿社会をつかんでいることにはならないんです。そしてまた、そこには方法論的な観点というものがないから猿の社会から類推して人間の社会はこうだということをいってみたりするわけです。そういうのは初めから駄目だというのはわかっているわけです。だから馬鹿げているわけです。 しかしそれにもかかわらず、僕が依然として評価したいのは、馬鹿げているし馬鹿げた方法論しかもっていなくても、大の男、大の研究者が三年も猿の集団を観察しているということなのです。そのことはやはり僕にいわせれば相当なもんだというふうに思われます。しかし無駄なことをやって出てきた成果というものが、人間の社会のモデルに対して一定の有効性をもつだろうということだけは確かなことだと思われます。つまり一見方法論としては無駄である、実感として無駄であるということを、やはり三年もやっているということの中には大変重要な問題が含まれている。

――吉本隆明「国家論ノート」

 

吉本の講演は、吉本に興味があるような文学・思想好きの人たちに向かって言っているから、こういう啓蒙の仕方になっているが、いまや吉本が科学者として、この「猿集団」への研究を文学に置き換えて言ってみても同じことがいえるように思う。「馬鹿げているし馬鹿げた方法論しかもっていなくても、大の男、大の研究者が三年も猿の集団を観察している」。この事の重要さは、科学ではなく文学にいえることである。

文学は「問題」をそれとして持続させる社会的意義を有していて、ここにしか人間の「自由」はない。これをなくすと、問題は解かれておしまい(その実絶対に解かれていない)だからである。昨今の部活を学校から切り離すという件も、もともとの原因は、我々の社会が「問題」の消滅を意図してしまっているからである。――わたくしにとって部活なんてのは「火山高」や「男どアホウ甲子園」」みたいな怪傑とは無縁の無駄な世界で、実際そんなもんだったから、これを学校から切り離して社会の中でやるんだったらある意味賛成なのだ、我々が解決しない「問題」を見出す時間を持つこと、つまり精神の自由=自治の復活であるからだ。そうじゃなく、コミュニケーションの能力の育成みたいな、文学以上に「馬鹿げている」問題を解こうとしているから、それが負担になって学校はやめようとしているんだろう。ついでに授業もその内容をきちんとみれば解決できない「問題」を扱っているわけであるから、負担なのでやめようということになるとおもう。まあそれもよいかもしれない。結局、学校がかかる「問題」=「精神の自由」を放棄したことで、もともとの制度が機械的に作動してしまっている。学校外でやる部活だって必ずそうなる運命である。

「ファクト」の消滅

 佐世保での主役は、実は群衆―野次馬だったのだ。彼等こそ、最も戦闘的に機動隊と闘い、追われる学生を護った。主役気取りのヘルメット部隊は、特に中核派は、テレビ写りの良い、機動隊の壁が最も厚い地点で、愚将乃木指揮下の二〇三高地攻略みたいな、無意味な犠牲の多い悲壮感あふれる突撃をくり返していた。佐世保市民全学連暖い交流と、それを暖い目で写し出すテレビの眼は限りなく不快だった。この種の暖い目こそ、最も大衆を侮蔑しているのだ。群衆―野次馬は、既に暴徒として登場しつつあったのに、テレビやそれに媚びる中核は、あくまで市民としてそれを扱おうとしていた。

 あぶないよ、すごい落し穴が掘ってあるよ。野次馬を市民と呼んでみせる猫撫声こそ、最も陰険なリベラリスト秩序派のやり口だ。善意を固く信じているから始末が悪い。ホメ殺しとかクライ撃ちとか、いろんなやり方があるのだ。義仲・義経のテツを踏むな。

――牧田吉明『我が闘争――スニーカーミドルの爆裂弾』

 

戦前に勉強した人が、小林秀雄とか保田與重郎とかブハーリンとかプレハーノフに同時に縛られたところがあったように、わたしぐらいの歳だと、ジジェクと柄谷行人と後期大江とインゴルドみたいな感じになるであろうか。いずれも神話みたいなものである。しかし、上のような伝記は決して神話にならない。本当かどうかはわからないが、ファクトとしては残りそうだ。真偽はどうでもよいが残る「ファクト」というものがある。「群衆―野次馬は、既に暴徒として登場しつつあった」という「ファクト」である。繰りかえすが、神話にはならない。著者が急いで義仲・義経を出してくるところからも、それはうかがわれるが、文脈が明らかになったとは言い難い。しかし、マルクスが「ブリュメール18日」で描いた「ファクト」――6月事件において、プロレタリア階級に対抗した秩序の党が、その守ろうとした「財産、家族、宗教、秩序」の名の下に襲われるような事態は、そこここで起こっている。

最近、北條元一の戦後の芸術論を読む機会があったが、――この人は長野県で文芸講座みたいなのをしてたときがあった気がするので長野県人だと思っていたが、京都の人だった。こういうファクトはどうでもよい。牧田氏が目撃したような「ファクト」があるのか慎重に読んだが、いまのところあまりなさそうだ。――おそらく、北條のような人が行おうとしたのは、上のような「ファクト」に抵抗して孤塁を作ることだったのであろう。

よく言われてきたように、我々は実践的であろうとすると必ず観念的になってゆく。ある種の実践信仰がもたらす事態は軽視すべきではない。こういうことは自明の理なのである。しかし、学生運動の挫折以来、実践が足りなかったみたいな空気が蔓延した。別に、両村上や田中といった作家に見られるアメリカンスタイルが反動であったわけではなく、むしろ彼等は実践的でありすぎた。こういう有様であるから、それを権力が換骨奪胎して学問に強いた。すると、その実践は案の定統制下での労働に切り替わったのである。通俗化したマルクス主義の実践概念に決定的な問題点があったのである。しかしまだこれは、所詮いつもの「群衆―野次馬」の実践なんだとたかをくくることもできる。問題は、そうすべきではない場合/人もそうなってしまうことである。

オープンレターはたぶん「公開状」という意味であろうが、――吉本隆明とか埴谷雄高とか竹内芳郎とかみたいな果たし状を雑誌に書くみたいなかたちでやるべきで、すると文学史家なんかがいつか文学辞典に書いてくれる。こういう事態をあまりなめてはいけないのである。辞典は神話であるか「ファクト」であるかは不明であるが、そうでないといつもの群衆ー野次馬の方向性の変質に解消されてしまう。しかし、まあ吉本達も、その書物でのやりとりの形態だけで収まりがつかなかったことも確かで、――吉本も個人誌で「×ね」とか言ってたし、竹内も討論塾とかつくって論争の討論化をはかってしまったし、埴谷にいたってはワインの飲みすぎである。個人主義は大切である。彼等が鉢合わせることはなかったからだ。しかし、この個人の愚痴と討論と酒が三位一体と化すとだいたい「暴力」に発展するのは、常識ではないのか?――最近、暴力への免疫が全体的におかしい。

――つまり、わたくしはいつもどこかかなり遅れているので、いま話題のネットで大騒ぎの文脈が全然わかっていなかった。いまもわからない。昔の論争だって、お互いにお互いを理解していなかったし、野次馬は酷いもんだった。だから野次馬を捲き込まない努力を少しはしていた気がする。論争は、文壇や論壇の問題ではなかったし、メディアの問題でもなかった。それを、それらの問題でしか扱えない人がいることの方がわたくしには絶望的に思われる。