さちゅりこん2――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

孔子の家族と長谷川家

葉公語孔子曰、吾黨有直躬者。其父攘羊。而子證之。孔子曰、吾黨之直者、異於是。父爲子隱、子爲父隱。直在其中矣。 羊を盗んだ親を告発する子が「直」(正直)なのか、親の罪を隠すのが「直」なのか。孔子は、私の田舎では後者なんだが、と言う。孔子はむろ…

鬼への諂いと勇気

子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不爲、無勇也。 鬼は別に先祖や神に限らない。ここでは鬼と言いながら、孔子はほんとは権力や君子と言いたいところなんだと思う。自分と直接「道」でつながっていない者に諂う奴はだめだと。これをあやまると、人は「信仰」に…

孝弟の道

有子曰。其人為也、孝弟而好犯上者、鮮矣。不好犯上而好作乱者、未之有也。君子務本、本立而道生、孝弟也者、其為仁之本與 孝の観念はあまりにも道徳化してしまっているため、感情的な反発を呼び起こすのだが、ここで述べられていることは、教養人(君子)が…

未知生、焉知死

季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。曰、敢問死。曰、未知生、焉知死。 鬼神や死にたいしては畏れるふりをしながら人は大概扱いやすいように扱っている。しかし、鬼神や死は我々の生の極点であって、死は生を眺め渡してしまうような地点、――いわば他人…

菊池寛の生家跡の大国天を訪ねる(香川の神社223)

菊池寛の生家跡には、流政之の彫刻がある。歯医者のついでにいつも会っている。

流民の孔子

衞靈公問陳於孔子。孔子對曰、俎豆之事、則嘗聞之矣。軍旅之事、未之學也。明日遂行。在陳絶糧。從者病、莫能興。子路慍見曰、君子亦有窮乎。子曰、君子固窮。小人窮斯濫矣。 衞の靈公が軍隊のことをきくと「祭具の使い方は学びましたが、軍隊の使い方につい…

戦いよりも説教を

怪獣にはヒーローが立ち向かう。しかし、ヒーローが怪獣に説教することはない。 子畏於匡。曰、文王旣沒、文不在茲乎。天之將喪斯文也、後死者、不得與於斯文也。天之未喪斯文也、匡人其如予何。 なんだかわからん敵に囲まれてもさすが孔先生は動じない。自…

壺中の天と中庸

子曰、中庸之爲德也、其至矣乎。民鮮久矣。 わたしはもはや中庸といわれておさまるような事態にはあまり興味がない。収まる事態ではなく、その都度違って見える事態の推移に興味がある。 谷間から眺める空が非常に広いことを平野にいると忘れる。空より地面…

対と重層

子曰、學而不思則罔。思而不學則殆。 これは、情報と思考の関係みたいに解されることもあり、そりゃまあ、そんな風にとってもかまわないのかもしれない。しかし、これは教えというより、実践的な意識と離れたある種の感慨であるような気がする。上のことはテ…

嘘とエゴ

齊人歸女樂。季桓子受之。三日不朝。孔子行。 魯の隣国齊が美女軍団を送ってきたら、魯の季桓殿はそれを喜んで政務を三日放棄してしまった。で、孔子は立ち去った。魯は孔子のおかげで力を付けていたのに、美女作戦に引っかかるとはなんと愚かな、とここを読…

後生の若者達が世界一

子曰。後生可畏。焉知來者之不如今也。四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已。 むかし読んだ時には、若者を擁護するせりふだと思っていたが、そんなことはない。たぶん、一見したところ、大したことのない奴の悪口を弟子たちが言って居たのであろう。そりゃそう…

現代版「三教指帰」の要請

子謂子夏曰。女為君子儒。無為小人儒。 この二年ほど、仏教と儒教を勉強したが、――やっぱり日本での道徳があり得るとしたら「三教指帰」みたいな〈形〉をとらざるを得ないんじゃねえかという気がする。我々はヘーゲルなどのように自分に対して鞭打たずとも、…

地下茎と草

季康子問政於孔子曰、如殺無道、以就有道、何如。孔子對曰、子爲政、焉用殺。子欲善而民善矣。君子之德風。小人之德草。草上之風、必偃。 ネットで面白おかしいときに『草生える』と言うけど、――もうさんざ言われていると思うが、論語で、民の徳は草だ君主が…

よき人の忠言

季康子患盗、問於孔子、孔子對曰、苟子之不欲、雖賞之不竊。 君主が欲をもつことがなければ、下々は盗みをしなくなるであろう、と言わなければならない現実はどんなものであったのか。君主が駄目だからそれをしもじもが模倣しているのだ、だから君主が正理を…

凶悪なタンポポを抜いていたらついでに蛙様を起こしてしまったようである

鳴いてた蛙に水かけてあげた春だね

法と対面

子曰、導之以政、斉之以刑、民免而無恥、導之以徳、斉之以礼、有恥且格。 法の支配によって恥知らずが増えるというのは、たしかにいまの日本をあらわしているようではある。法の抜け道ばかり探している政治家が法の支配を言い立てる。これは当然の現象である…

川の夢

その夜かの女は何年か振りで川の夢を見る。 一面の大雪原である。多少の起伏はある。降雪のやんだあとの曇天で、しかもまたその後に来る降雪を孕んだ曇天である。一面に拡く重い地上の大雪原の面積と同じ広さの曇天の面積である。曇天の面にむらがある。地上…

短歌と怪獣

僕はお金が話したままをそっくりここに書こうと思う。頃日僕の書く物の総ては、神聖なる評論壇が、「上手な落語のようだ」と云う紋切形の一言で褒めてくれることになっているが、若し今度も同じマンション・オノレエルを頂戴したら、それをそっくりお金にお…

禁欲性と大きさ

学而時習之。不亦説乎。有朋自遠方来。不亦楽乎。人不知而不慍。不亦君子乎。 学んだり復習したりすることが楽しいというのは禁欲的な態度で、楽しいというのは保証されていないのだが、禁欲的であるために楽しいと言わなければならない。友は近くにおらず遠…

患己不知人也

子曰、不患人之不己知、患己不知人也。 木曽町の水無神社には、中山道から逸れて駒ヶ岳にむかって歩いて行くと参道に行き着く。で北方向に伸びる参道を歩いて境内に至って駒ヶ岳の方を振り返るとすごく壮大にみえるわけで、水無神社がなぜあそこにあるのかは…

ケンさん死す

子曰、誦詩三百、授之以政不達。使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲。 今日は、3日に大江健三郎がなくなっていたことが報道された。ついに我々は大江後の世界に突入した。わたくしは物心ついたら既に三島が死んでいて、二十年間生きた結果、今度は安部公房や…

方便としての道徳

子曰、弟子入則孝、出則悌、謹而信。汎愛衆而親仁、行有余力、則以学文。 よく言われてることなんだろうが、論語って、あれやってから次はこうで余力あったらあれをするみたいな順番をつけてるように思える。上だったら、孝→悌→信→愛→仁→文みたいな順番であ…

かくれんぼ

小ぐまさんは、その音を聞いてゐるうちに、すつかり、かくれんぼをしてゐるといふことを忘れてしまひました。そして、そつと、机の下から這ひ出して行きました。そして、机の上を見ました。 けれども、その机の上には、真白なナフキンがかぶさつてゐるので、…

肉と音楽

昼間は異分野種研究者研究会で神谷之康氏の「再現性の科学:脳科学は実世界で役に立つか」というスライド資料をつかって勉強。Σ記号とか∫記号とかを久しぶりに見たが、要するに、文字に文脈によっていかなる意味が宿るのかみたいなことをテキストの空白性や…

狐・わら人形・よーいどん

子曰、三人行、必有我師焉。択其善者而従之、其不善者而改之 三人が孔子を含めて三人である解釈に従えば、のこった他人のなかに必ず師がいるからこれに従い、よくないものはこれをあらためるべき(自分をかな?その悪い奴をかな?)である、ということになる…

遅れてきた成熟

子曰、「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」 漠然と考えていたのであるが、あらためて読んでみると、随分遅い発達にもみえる。現代人なんか「吾三而志于学。」である。「三十而立」とは、たしかに…

そのまたおくのそらのおくつきはやっぱりきいろくて

太宰問於子貢曰、夫子聖者與、何其多能也、子貢曰、固天縦之將聖、又多能也、子聞之曰、太宰知我乎、吾少也賤、故多能鄙事、君子多乎哉、不多也、牢曰、子云、吾不試故藝 確かに貧乏だと多くのことをしなければならず、多能になるということはあるかもしれん…

地神さんを訪ねる(香川の神社222)

木太町で見出される。 木太町は、南小学校のあたりがお城で神内氏の戦国時代の後半に治めていたようである。西にゆくと、城主神内清定の墓がある。十河存保の家来で、長宗我部の侵攻に抵抗したという。

御供なる左衛門尉なる者に太刀を抜かせて聞き給ふ

宵少し過ぐるほどに、源中納言、狩の装ひにて、馬にておはして、南の山の隙垣外におはして、御座敷かせておはす。尚侍の殿かの木のうつほに置き給うし南風・波斯風を、我弾き給ひ、細緒をいぬ宮、竜角を大将に奉り給ひて、曲の物ただ一つを、同じ声にて弾き…

琴の音

今は、長雨がちなり。静やかに降りて暮らす日、時鳥かすかに鳴き渡り、月ほのかに見えたり。 三所ながら静かに弾き合はせ給へる、いとおもしろし。 こなたかなたの人は、泉殿に出でて聞く。殿の人々のなかに、もとよく琴習ひたる、あまたあり。いづれと聞き…