
学制頒布七十年の記念式の新聞記事をよみながら、ふと思いついた話である。
何処かの国民学校で、児童たちをつれて遠足に行った。雨上がりで足をすべらせた児童の一人が河に落ちこんだ。その時先生の一人がすぐ濁流にとび込んでその児童を救い上げたが、自分は濁流の中に流されてしまった。
こういう場合には、その場所に石碑が建つであろう。そういう実例がたしか東京の近くにあったように記憶する。
ところで三十年間国民学校の先生をつとめ上げて、その間に何十人という腕白な児童たちを、何百回と遠足につれて行って、その中の一人をも河に落さなかった先生も沢山ある。そういう先生が退職しても、まず石碑は建たない。
教育の仕事は巧く行った場合には、効果は目立たない。そしてどんな無茶なことをしても、その人の在任中に悪い結果が現われる心配もない。いわば張り合いの無い仕事であるが、それだけに大切な仕事である。教育の仕事だけは、人気取りを必要とするいわゆる政治家にまかせたくないものである。
何処かの国民学校で、児童たちをつれて遠足に行った。雨上がりで足をすべらせた児童の一人が河に落ちこんだ。その時先生の一人がすぐ濁流にとび込んでその児童を救い上げたが、自分は濁流の中に流されてしまった。
こういう場合には、その場所に石碑が建つであろう。そういう実例がたしか東京の近くにあったように記憶する。
ところで三十年間国民学校の先生をつとめ上げて、その間に何十人という腕白な児童たちを、何百回と遠足につれて行って、その中の一人をも河に落さなかった先生も沢山ある。そういう先生が退職しても、まず石碑は建たない。
教育の仕事は巧く行った場合には、効果は目立たない。そしてどんな無茶なことをしても、その人の在任中に悪い結果が現われる心配もない。いわば張り合いの無い仕事であるが、それだけに大切な仕事である。教育の仕事だけは、人気取りを必要とするいわゆる政治家にまかせたくないものである。
――中谷宇吉郎「石碑」
これは昭和一七年の文章であって、総国民=兵士「製造」が至上命題だった時代にたいする抵抗が感じられる。児童は生きたが自分は死んだエピソードなんかもそうである。兵士の顕彰碑ばかりが建つ事への抵抗もあったであろう。
教育の仕事は国民製造とは違って効果ががよく分からない。とくにうまくいっている?場合は。いつの世も、自分の効果を高唱する教師が碌なものではないことは自明で、國民学校の総力戦的教育だってそうだったのだ。それはかえって、おそらく戦後に花開いているのである。しかし、それもほんとはわからない。
もっとも、「教育の仕事は巧く行った場合には、効果は目立たない。そしてどんな無茶なことをしても、その人の在任中に悪い結果が現われる心配もない。」といういい方は今から視ると牧歌的にように見える。最近はすぐ効果と結果の原因を教員に求めているからだ。実際はそんなに事態はかわっていない。教職への人気が低下している理由に「いわば張り合いの無い仕事である」という原理的な事情があることを無視してはならない。
学者だって、ほんとはおなじことで、原理的に「張り合いがない」はずである。よく裏表紙なんかに「気鋭の哲学者」とか「気鋭のなんとか」とか書いている事があるんだが、そういうのは、「爆弾三勇士」とか一緒でばかみたいである。そんな気鋭みたいな「効果」や「結果」が出ているわけがない。「あとがき」で妻への感謝の言葉が書かれている場合も同じである。こういうことを書くということは嘘を書いているということだな、と文学研究者様の俺様が断言させていただきますまことにありがとうございました。